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世俗を生きる


最近は、色々と開き直って、自分が安定できるパーソナルスペースを守りつつ、生活していくことを目標にしてたりする。
特に、異性に対しては、距離を置く姿勢で、無駄に近づかれないように頑張るのだ。

薬を飲めば、眠れるし、心も安定する。
自分への嫌悪感も和らぐ。

あとは、人と距離を置きさえすれば、問題なく生活を送れるのだ!

楽しいことなんていらない。
物語に集中できなくたって、それは仕方ないこと。
音楽を聴いても、現実を感じる。

そんな世界でも、生きていくということをテーマにするのだ。
目指せ、生きながらの解脱である。

人生は苦しい。
苦しいからこそ、煩悩を捨て、ただ感謝するのだ。

うん、無理なこと言った。

とりあえず、世俗に生きつつ、周囲に感謝しつつ、フェードアウトしていけたらと思う。
そんな今日この頃である。
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僕は人に依存できる人間じゃない。



優しい人になりたい。
そう思うけれど、僕の思考は、僕の理性なんてどっかにいっちゃうくらいはっちゃけてるんだ。

それも、きっと感情が先に立つからだと思うんだけれど、感情を抑える術も、今の僕にはなかったりする。

じゃあ、どうするんだと頭を悩ませるのだけれど、そんな悩みも、いつの間にか要らない思考に塗りつぶされて、結局、僕は元の嫌いな自分に帰ってきてしまう。

人といない時の僕は、とっても強情で、傲慢なのだ。

そして、1人でいることに、慣れてしまった僕は、人の中に行っても、同じように強情で、傲慢な態度を取ってしまったりする。
別に、人に好かれようとか、味方を作ろうなんて気はさらさらない。
だって、どうせ皆は僕のことなんて忘れていくからね。

それでも、僕の周りには、意外に人がいてくれたりして、とても嬉しいんだけれど、今の僕には、人に優しくすることなんて、到底できない訳で、自然と人を傷つけてる。
勝手に幻滅するくらいなら、近づいて来なければ良いのにと思うのだけれど、僕が人に愛想をふるのも原因なんだろうなと思うのだ。

でも、その愛想がなかったら、僕なんて社会から弾き出されるだけの存在になっちゃうのだから、これは防衛本能みたいなもんなのなのだ。
それに、いまさら愛想をふらなくなったら、無駄に心配とかされちゃって、面倒くさいことになるのだろうという予想もできる。

つまりは、僕は大丈夫って振りをしつつ、人と距離を置くのがベストな選択なんだろうなってことなのだ。


僕は、人間関係において、善悪なんて、これっぽっちも考えてない。
でも、人は、意外と自分のことを正しいと思ってる気がする。
それは、僕にとっては、悪なのだけれど、なかなかそれも理解してもらうには難しいことだ。

そんなもの、どうでも良いじゃんって言いたくなる。
お互いで楽しめる関係性を築ければ良いじゃんって思う。


ただ、そんなことを思っても、築くことをできない現実が、僕は少しだけ寂しい。
そして、その寂しさが原因で、僕はこんなにも不安定な存在になってるんだろうなと。

僕の感情は、ちっぽけで、何もできなくて、その癖、僕の中では馬鹿みたいに暴れまわってる。

思考がまともになれば、感情も制御できるだろうし、人に優しくすることもできるのかな。


そう前向きに考えつつ、今日も明日も、頑張っていこうと思うのでした。

会わせる顔がない


自分の周囲で、妊娠出産ラッシュが巻き起こってる。
人が死ぬのと同じくらい大きな出来事だけに、小心のオレはビビる。他人事のはずなのにマジでビビる。

ただ、現実として、オレは生まれてくる奴らの、模範になるような人生なんてものは送っていない。
かつ、オレはそいつらと出会うことが、既に間違いなんじゃないかとすら思う。
オレなんかと出会ったとしても、そいつらに良いことなんて一つもないんじゃないかという意味である。

うん、ないだろ。

実際に、オレと出会って良かったと思えるような、天使のような人がいたとして。
オレは、きっと、ただその天使を騙しているにすぎない訳さ。
わざわざ、いつかばれる詐欺をして、得もないのに会う理由なんてない。
いつか嫌われたり、蔑まれたりするのが解っていて、会う必要性なんてないだろう。

だから、オレは心に決めるのだ。
天使たちから生まれる天使には、会わないと。

「天使」とか、厨二全開なテキスト書いてて、自分でも引いてるのだが、いかんせん、他に伝える術がない。
全く持って残念である。
オレの存在が残念である。

オレは、最近生まれてきた奴らや、これから生まれてくる奴らから、ありったけ逃げてやるのだ。
そして、まるで離婚して、自分の子供と面会できなくなった父親のように、そいつらを他人のような素振りをして、外から見守ってやるのだ。

うん、いいなそれ。

直接会わないけど、天使を外から見たって良いじゃないかと。
見るだけだからと。

うん、どう読んでも変態の文章である。

一言だけ言っておくと、オレの趣味は、キャリアウーマン系のスーツを着たお姉ちゃんである。
これは譲れない。
絶対に、ロリコンなんてものじゃない。

貧乳は好きだが、寸胴は嫌いなのだ。
クビレが重要なのだ。
童貞の癖に選んでるんじゃねえと思われるかもしれないが、オレはロリコン趣味だけはない。
それだけは、言っておかなくてはならないのだ。


とりあえず、あれだ。
これから、産む奴は頑張れ。
産まれてくる奴等も頑張れ。


どうか、お前らは幸せになってください。



「で、お前は?」

「どっかに、金持ちで、無条件でオレを愛してくれる美人な姉ちゃんいねえかなー」

「お前は、現実に足を踏み込んだ方がいいと思うぞ?」

「オレに、現実と虚構の境界などないのだ!」

「これから生まれてくる命に謝れ」

正当性も、整合性も必要ない。


イライラすることがあって、そのイライラを本人にぶつけてやりたい訳だが、そうすると、自然と「死ね」だとか、それ以上に汚い言葉をあっさり言いたくなってしまう。
それをどうにか堪えて、堪えて、堪えて、言葉に出そうとすると、それは自分のストレスを解消するに価しない、温和な言葉になってしまう。

それはそうなんだが、私としては、もっと正直に相手を罵倒して、自分がすっきりしたいのだ。
しかし、いかんせん人間関係だとか、今後の対面時だとかに、また別のストレスが生まれるのが安易に想像できてしまう。

で、結局、自分はストレス解消できない訳で、なんて窮屈な思いをしなくちゃならないんだと、世の中に叫びだしたい衝動にかられるが、実際にその感情を表に出せるほどのアクティブさは持ち合わせていない。

一体全体、私のストレスはどこで発散しなければいけないのかと夢想するが、もちろん根本的な解決は、本人にぶちまけること以外にない。
ない。
他にない。
だから言いたい。
言いたくて仕方がない。

なんて、私の脳みそは幼稚なのかとも思うが、自覚してたとしても、敵意には敵意にというのが、私にとってのスタンダードなのである。
言い訳さえしようと思わない。

距離が遠い人なら、どうでもいいと割り切れる。
距離が近い人なら、敵意でもって返すのだ。

それなのに、言えないってのが、何とも苦痛すぎるではないか。
実際に言ってみても、もしかしたら、形の良い喧嘩になって、上手く着地できるかもしれない。
でも、相手からしたら、絶対に根に持つ訳で、根に持たれちゃう訳で。

ああ、面倒臭い。
他人に対する優しさの足りない、そんな自分が元凶であることは分かっているが、なかなかどうして開き直れないものかと。

他人を傷つけることを当たり前にしていた時代の後悔なのか、いや、時代とか関係なく傷つけてるのだけどね。
まあ、そういう後悔が私の枷になっているのかな。

しかし、近ければ近い人ほど、傷つけたくなる。
ある種の病気だろうな。

優しくしたいと思いながら、傷つけたいとも願ってしまう、そんな葛藤である。


「加減して罵倒すれば良いんじゃね?」

「そんな器用なことできるか!」

「もう、破綻してるよな、お前の人格」

他人の死との距離感


昔は、好きな人が死んだら悲しいと思えた。
不思議なことに、今のオレには、悲しいという感情はなくて、寂しいという感情になる。
それは、本当に身近な人が死んだ訳じゃないから?
親戚でも?
家族でも?
友人でも?

酷く感情が矛盾してるように感じる。

結局は、自分が相手のために何もできなかったという後悔が、悲しさという感情を生んでいるようにも思うのです。

後悔できるってのは、それだけその人の近くにいたと思えるから?
自分なら、もっとその人のためにできることがあったと思えるから?

誰の近くにもいないオレは、人の死を悲しめないってことなのかな?

だって、自分なんかが他人にできることなんて、一つもないんだもの。
悲しいふりさえできないよ。

「演技で良いんじゃねえの?」

「そんなナルチシズムは寒気がするよ」

「馬鹿になれってことさ」

情報の共有を上手くできないのは、恐ろしくストレスである。


日常的に行われる会話の中で、特に悪意もなく、ただ思ったことを伝えようとしているだけなのに、その認識に若干の差違があると、それだけで、まったく別の情報になってしまう。

全てのメディアや、エンターテイメントでも同じことが言えるのだろうが、まったくもって不合理な話である。

人と人とが関わること自体が、一種の混沌を形成している原因のように感じてしまう。
この考え方自体も、既に混沌としているのだが、心象や、受け手としての感性をどうこうなんて、できる訳がない。

コミュニケーションを重ねることで、差違を埋めることはできると言えばできるが、人は変化する物であるのだから、そこに普遍性なんてない。

結局は、変化を含めて相手を肯定することが、必要で、かつ自分を肯定することも必要な訳だ。
それ自体も、夢物語に感じるが、完璧よりも、適当にってのが正攻法なんだろう。

アバウトに、よりアバウトに他者と接する。
まったくもって、不合理である。

「ただの会話にもリスクがあるって話か」

「だね。リターンが悪意ってのもありえる訳で」

「じゃあ、閉鎖的になるしかねえよな」

「うん、八方塞ってやつだ」

見えない温もり



人を好きになっても、それは僕の現実を変えることのない心象でしかない。
それでも、僕の脳内では大変な影響があるらしく、眩暈がしたり、眠れなくなったり、自己の統一性が計れなくなったりと、嫌なことだらけの事柄です。

ああ嫌だ。

ただ、好きな人と、抱き合って、匂いを嗅いで、温もりを感じたいと思うだけなのに、それが過ぎた願いというのなら、人生のなんと苦しいことか。

ああ、嫌だ。

「そろそろ、三十路だよな、この童貞やろうが」

「あと十年たったらインポテンツだと思えば笑い話になるよな!」

「ことごとく笑えねえよ」

続きの続きの終わり



一人でいることは、とても自由なことに思うのです。
ただ、自分の思うように過ごす日々は、あまりにも尊く、束縛なく、まるで何もない草原をただ闊歩していくような心地です。

私は、何にも縛られず、何にも関わることのない、そんな生活を送っているのだと。
しかし、それは、とても孤独であるとも思うのです。

空を見上げても、地平を見つめても、地面を私の足で噛み締めても、それを共有できるものはありません。
ただ、私個人が、綺麗だと思っても、楽しいと感じても、草木の枯れを悲しんでも、それは私自身にしか伝わってこない、そんな現象でしかないのです。

自由という言葉の、なんと虚しいことか。

私は、いつも自由です。
他人の言葉に流され、傷つき、立ち上がり、歩んでも、それは一個の私でしかないのです。
前を向き、後ろを向いても、見えるものは自分という存在のちっぽけさだけに思えてしまうのです。
世界はこんなにも、広大で、鮮明で、残酷で、意味のないものなのでしょうか。

歩みはする。
それは、私に許された唯一の選択なのでしょう。

自由であるが故に、私は私でしかなく。
世界という深淵を探すことが、諸感情を認識する唯一の手段なのでしょう。

気づいてみれば、私の周りに人がいた、そういう夢を見ます。
しかし、それは夢でしかないのです。

目が覚めた、私の見るものは、私が自由であり、私が一人であるという観測の結果でしかないのですから。

「そろそろ、自分の手でお開きにしたらどうなんだ?」

「うん、そうしたいのはやまやまなんだが、それだけはしないって約束だからな」

「じゃあ、自由じゃないじゃん」

「オレは、オレでしかないんだから、結局は同じことってことだよ」

やってらんねえ



ブログを更新しようと頑張って記事を書くのだけれど、更新をクリックする度にネット不良(?)で書いた記事がおじゃんになるという悲しいお話が3回連続続いたので、これからはテキストを保存してから更新しようと思いました。

「何が言いたいの?」

「ただの愚痴です」

初夢



今年の初夢をやっと見ることができた。

美味しい物をたくさん食べて女の子とイチャイチャするという夢を見て、これが正夢だったら最高じゃないかと喜んでいる自分という夢だ。

滑稽である。
心の底から滑稽であると言える。

笑い以上に寂しさがこみ上げてきた。

しかし、初夢とは一日から三日の間に見たの夢のことを言うらしいので、時効であるらしい。
少し安心できた。

まあ、虚構に溺れ喜んでいる様など、私らしいかと言えばまさに私らしいと思うので、これが正夢であっても良いのかとも思わなくもない。


「どっちでも良いよそんなことは」

「そうだよね。自分の人生そのものが虚構じゃないかとか未だに思ってるもんね」

「人生がフィクションとか超面白いじゃないか!」

「超とか使うな。早く病院に行け」

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