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不確かなもの



感情が渦みたいに激しくグルグル回ってて、どっかに行っちゃいそうな
僕の脳みそでありますが、きっと原因は期待しているってことなんだろう。

僕はいつも諦めてる。
だって諦めたら終わったままで済むんだから。

なのに今の自分の心は期待が半分以上を占めている。


また、阿呆みたいなことして、気持ち悪い内面をされけだして、欲しい欲しいと懇願するのだろうか。

想像しただけで、吐き気がする。


だから期待なんてさせないで。

本当に永遠があるなんて思ってないんだから!

ただ、永遠があったら良いなって思ってるだけなんだから!


夢見てるだけの自分でいさせてよ。



だから、これ以上、絶望させないでくださいよ!
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ホームシック



「故郷に帰りたい」

そう思うのは、育った場所の土や草や海の匂い、ただただ大きい空を感じたいからなんだろう、そう思うんです。

四季を体感できないことが無性に悲しい。

醜い自分の存在そのものが罰である



過去に、あまりにも情けない叫び声をあげていた、そいう記憶がある。

言葉にしたくないほどに泣き叫んでいる醜い形相。

プライドなんて初めからなかったかのような金切り声。


「もうやめて」

「助けて」


そんなことをずっと叫んでいた。


もちろん、その行為を止めてもらうこともできなかったし、誰も助けてはくれなかった。


だから、そんな醜い自分も、それを誘発させる行為も、ただ享受していくしかなかった。


そんなことを、ふとした瞬間に思い出す。

その度に、今の自分でも同じように泣き叫ぶことが起こるんじゃないのか、そう思えてならない。

1度あったことは2度ある。

そして、3度、4度と続いて行く。


できることと言えば、そうならないように怯えながら生活することだけだ。


何で自分は、こんなことを覚えているのだろう。

忘れてしまえば楽なはずなのに。


そんな風に考えたりもする。

でも、それはきっと、忘れていないということに意味があるからなのだろうと思う。


冷たい傷ばかりが僕を育てる。

それでも、いいよね。


ああ、誰かを助けたい。

きっと、それだけが僕の助かる方法だから。

生きる為の拒絶



「嘘をつけるようになれ」

「世の中は悪い奴ばっかりなんだ」

「簡単に人を信じるな」


上からの目線で、そんなことを言われた。


でもさ、僕は嘘だってつくし、世の中は糞だって思ってるし、人だってそんなに信じてない。


いったい僕の何を見て、そういう言葉を吐いたのだろう。


綺麗な物ばっかり見ようとしてるのは確かだよ。

合理性の上に成り立つ世界は綺麗だ。
愛情の上に成り立つ世界は綺麗だ。
生と死の境界で嘆きながらも進んでいく様は綺麗だ。

心からそう思う。


それらを否定しちゃったら、生きている理由なんてないでしょう。


ただ快楽を求めて生きていくだけです。


刹那的過ぎる。
虚構との差異なんて存在しないじゃないか。


僕は現実を生きているんです。
なのに、その現実を諦めたらどうなるですか。


何も残りませんよ。


僕は、そんな人生はお断りです。

理解できないということ



労働の場での自分も
学業の場での自分も
プライベートでの自分も

全部が違う。


集団の中での自分も
個人と接している自分も
1人でいる自分も

全部が違う。


健康な自分も
不健康な自分も
元気な自分も
鬱屈している自分も

全部が違う。

そして、その時々で接している相手によっても違う訳である。


1個の人間を理解するには、一体どれ程の情報量が必要なのだろうか。

それでも、自分が幸せになる為には自分を理解するということが一番の近道ではないか、と考える私は、情報を収集し続けなくてはならないのである。


きっと、コミュニケーションの第一歩は「理解できない」という前提を持って初めて挑戦するものなのだと思う。

そうして、私はまた、自分との対話を繰り返すのである。

「沈黙と  」


持っている人間から持っていない人間への発言。
待っていない人間から持っている人間への発言。

持っている人間同士の差異。
待っていない人間同士の差異。
そして、それらの差異を解さない発言。

求められる発言。
求められていない発言。

「誰も僕を知らず、僕のほうでも誰も知らない所でありさえしたら、そこへ行ってどうするかというと、僕は耳と目を閉じ、口を噤んだ人間になろうと考えたんだ」


僕は何を知っているのかな。

いや、

思考の継続とその目的


見えてる物と見えてない物のどちらが信じられるかと言われれば、絶対に後者なんだけど、でも、信じられるからと言ってその通りに信じちゃった瞬間にきっと世界は終わるんです。

進み続ける過程にあるにも関わらず、あっさりと、そして、はっきりと、終わっちゃうんです。

見えてるからと言って、それが他人の目にも映っているのか。
見えないからと言って、それは本当に無い物なのか。

終わっちゃった人には、どうでも良いこと。
始まってもいない人には、認識できないこと。

ただ、空を掴みたいと思っていた時みたいに、無垢な自分に戻れる日がくるのかな。

人がいないところ


たとえば、夜中の道路の真ん中だったり、自分の部屋のベランダだったり、お風呂の湯船のなかだったり、大きな橋の下だったり、深夜の学校の教室だったり、ヘッドフォンをつけて目を瞑った世界だったり色々あるけど。

けれど、時間を戻したり進めたりすると、誰かとぶつかっちゃうよね。

きっと、本当に人がいないところなんてないんだろうな。


なんて物理の世界に嫌味ごとを言いたくなる今日この頃です。

感情の色



感情は、その人によってまったく違った色だ。

普段の感情が綺麗な色をしている人は、より感情的になった時も綺麗なままだったりする。

逆に、普段の感情がきつい色の人は、より感情的になった時に恐ろしく禍々しいものになる。


自分の感情はいったいどんな色をしてるのだろう。

ある友人のプロのカメラマンに自分の写真を撮ってもらったことがあったが、その写真に写る私の感情は、まさに「混沌」としていた。


色んな色が何重にも内包されている様な、けれど全ての色がなくなっているかの様な。

普段の私の色があんな色だとするなら、あまり感情的になりたくないものだ。


きっと、あまり上手とも言えないカメラマンだったら、あんな色はでなかったんだろうと思う。

とりあえず、その友人には多大な評価はできるが、また撮ってもらうのは避けたいものである。


一体どうすれば、より綺麗な感情を表現できるのだろうか。

ああ、もっと簡単に人を愛したい。

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