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永遠性との乖離



僕らは失いながら生きている。

失うことこそが人生と言ってもいいのかもしれない。


だけど、本当に手放したくない「もの」があるなら――それを手放さないようにするにはどうすればいいのだろう。


きっと、その「もの」を理解するということ以外に解はない。


その「もの」が何を求め、何を欲しているのか。
それを見つける他にないだろう。

そして、それを与え続けるだけである。


場合によっては、自分の感情すら押し殺し、自己否定を繰り返すことも多々あるだろう。

その「もの」の変化に合わせるだけの柔軟性と耐久性、そして忍耐も要求されることだろう。

けれど、本当に大切だと思うのなら、きっと、そんなことの全てが簡単なことだと思う。


だって、既に手にしているのなら、いくらでも努力できるじゃないか。


僕は、そんな「もの」を手にしたことはない。

けっして、僕の手の中にはないんだ。

あったという過去すらないんだ。


だから、僕は諦め、ただ失って行く。


僕は何も怖くない。
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叶わない夢



僕は埋没したいと常々思っているのだが、なぜ世界はそれを許してはくれないのだろう。

主張なんてしたくもないし聞きたくもない。

ただ、無為な時間をすごして、ご飯を食べて、寝て――そんな日常が僕の夢。


意味なんていらない。
変化していく世界を、ただ眺めていたいだけなんだからさ。

曖昧で曖昧で曖昧だ。



鮮明な物なんてないじゃないか。
いつもいつも、いつも。

時間が経つにつれて自分が刹那的にならざるを得なくなっているのかもしれない。

先なんて見えなくて、予想すらできなくて、もう逃げ出したくなる。


きっと結果は一緒なのだろうけど。


自分なんて己は所詮はただの児。
何もない、何もない。

だから世間に期待するしかない――なんて思い込んでしまう児。


できることは選択することだけ。

後悔しないように。

今の自分にそんなこと判断できる訳がないのに。


どうして僕は気違いになれないんだろう。

ただ流れていれば楽なのだろうに。

何も見たくない。

| 永劫回帰と左手の矛盾ホーム |

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