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過程における嘔吐


最近、どうも私の人間に対しての好き嫌いがはっきりしてきているようで、今後の自分が、自分にとって不都合な状況を作ってしまうのではないかと心配でならない。

けっして、状況において必要な相手には悟らせないようには接するのだが、相手を嫌いな人といったん認識してしまうと、コミュニケーション中に、目眩や吐き気、頭痛、眼球に痛みを感じるなどの症状がでてくるのである。

先日、こちらから事務的な用件があった為、久しぶりに親に連絡をしたところ、親のあまりの一方的なご都合主義に生理的嫌悪感を抱いてしまい、耐えきれず話の途中で電話を切り、トイレに駆けて便器に向かって私は嘔吐していた。


昔は、まだ、嫌いな相手に対して努力しようという感慨はあった。そして、その「過程」において、私は、自分の感情を相手にぶつけるという――リスクをある程度考慮した上でだが――アプローチをすることも多々あった。しかし、最近では、十二分に私のコミュニケーションに好感をもってくれる方たちが多くいる為、不必要、又は、縁の薄いと判断した相手に対して努力しようという意志を含んだコミュニケーションは断ってきた。

より生産性の高いものに時間を使う方が、自身にとっても、他者にとっても、有意義だと判断した為である。


その「過程」において、私は、きっと相手に対して諦めるという感情を抱かないように努めてきた。
しかし、現在の私は、その諦めるという感情に対してリミッターを一切付けていない。

そして、つけていないからこそ、相手に対しての嫌悪感をフィルター無しに感じているのだろうと把握するのである。


いったい、私は、いつになったら鈍感になることができるのだろうか。



「お前は他人を見下せる程に偉いのか?」

「見下しているつもりはないよ。ただ差別してるだけだ」

「その差別とやらをして何が楽しいんだ?」

「時間を上手く使えるんだよ」

「上手く使えてお前に何の得がある?」

「得なんてある訳がないじゃないか。上手くできることが楽しいだけだよ」

「相も変わらず自虐的だな」

「自虐は全てを許す為の過程だよ」
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