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続きの続きの終わり



一人でいることは、とても自由なことに思うのです。
ただ、自分の思うように過ごす日々は、あまりにも尊く、束縛なく、まるで何もない草原をただ闊歩していくような心地です。

私は、何にも縛られず、何にも関わることのない、そんな生活を送っているのだと。
しかし、それは、とても孤独であるとも思うのです。

空を見上げても、地平を見つめても、地面を私の足で噛み締めても、それを共有できるものはありません。
ただ、私個人が、綺麗だと思っても、楽しいと感じても、草木の枯れを悲しんでも、それは私自身にしか伝わってこない、そんな現象でしかないのです。

自由という言葉の、なんと虚しいことか。

私は、いつも自由です。
他人の言葉に流され、傷つき、立ち上がり、歩んでも、それは一個の私でしかないのです。
前を向き、後ろを向いても、見えるものは自分という存在のちっぽけさだけに思えてしまうのです。
世界はこんなにも、広大で、鮮明で、残酷で、意味のないものなのでしょうか。

歩みはする。
それは、私に許された唯一の選択なのでしょう。

自由であるが故に、私は私でしかなく。
世界という深淵を探すことが、諸感情を認識する唯一の手段なのでしょう。

気づいてみれば、私の周りに人がいた、そういう夢を見ます。
しかし、それは夢でしかないのです。

目が覚めた、私の見るものは、私が自由であり、私が一人であるという観測の結果でしかないのですから。

「そろそろ、自分の手でお開きにしたらどうなんだ?」

「うん、そうしたいのはやまやまなんだが、それだけはしないって約束だからな」

「じゃあ、自由じゃないじゃん」

「オレは、オレでしかないんだから、結局は同じことってことだよ」
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