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情報の共有を上手くできないのは、恐ろしくストレスである。


日常的に行われる会話の中で、特に悪意もなく、ただ思ったことを伝えようとしているだけなのに、その認識に若干の差違があると、それだけで、まったく別の情報になってしまう。

全てのメディアや、エンターテイメントでも同じことが言えるのだろうが、まったくもって不合理な話である。

人と人とが関わること自体が、一種の混沌を形成している原因のように感じてしまう。
この考え方自体も、既に混沌としているのだが、心象や、受け手としての感性をどうこうなんて、できる訳がない。

コミュニケーションを重ねることで、差違を埋めることはできると言えばできるが、人は変化する物であるのだから、そこに普遍性なんてない。

結局は、変化を含めて相手を肯定することが、必要で、かつ自分を肯定することも必要な訳だ。
それ自体も、夢物語に感じるが、完璧よりも、適当にってのが正攻法なんだろう。

アバウトに、よりアバウトに他者と接する。
まったくもって、不合理である。

「ただの会話にもリスクがあるって話か」

「だね。リターンが悪意ってのもありえる訳で」

「じゃあ、閉鎖的になるしかねえよな」

「うん、八方塞ってやつだ」
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