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正当性も、整合性も必要ない。


イライラすることがあって、そのイライラを本人にぶつけてやりたい訳だが、そうすると、自然と「死ね」だとか、それ以上に汚い言葉をあっさり言いたくなってしまう。
それをどうにか堪えて、堪えて、堪えて、言葉に出そうとすると、それは自分のストレスを解消するに価しない、温和な言葉になってしまう。

それはそうなんだが、私としては、もっと正直に相手を罵倒して、自分がすっきりしたいのだ。
しかし、いかんせん人間関係だとか、今後の対面時だとかに、また別のストレスが生まれるのが安易に想像できてしまう。

で、結局、自分はストレス解消できない訳で、なんて窮屈な思いをしなくちゃならないんだと、世の中に叫びだしたい衝動にかられるが、実際にその感情を表に出せるほどのアクティブさは持ち合わせていない。

一体全体、私のストレスはどこで発散しなければいけないのかと夢想するが、もちろん根本的な解決は、本人にぶちまけること以外にない。
ない。
他にない。
だから言いたい。
言いたくて仕方がない。

なんて、私の脳みそは幼稚なのかとも思うが、自覚してたとしても、敵意には敵意にというのが、私にとってのスタンダードなのである。
言い訳さえしようと思わない。

距離が遠い人なら、どうでもいいと割り切れる。
距離が近い人なら、敵意でもって返すのだ。

それなのに、言えないってのが、何とも苦痛すぎるではないか。
実際に言ってみても、もしかしたら、形の良い喧嘩になって、上手く着地できるかもしれない。
でも、相手からしたら、絶対に根に持つ訳で、根に持たれちゃう訳で。

ああ、面倒臭い。
他人に対する優しさの足りない、そんな自分が元凶であることは分かっているが、なかなかどうして開き直れないものかと。

他人を傷つけることを当たり前にしていた時代の後悔なのか、いや、時代とか関係なく傷つけてるのだけどね。
まあ、そういう後悔が私の枷になっているのかな。

しかし、近ければ近い人ほど、傷つけたくなる。
ある種の病気だろうな。

優しくしたいと思いながら、傷つけたいとも願ってしまう、そんな葛藤である。


「加減して罵倒すれば良いんじゃね?」

「そんな器用なことできるか!」

「もう、破綻してるよな、お前の人格」
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